馨のブログ

過去のことや今のこと思ったことを書き殴ります

母に思う「女という呪い」

私は生まれて30年経つが、母とは未だに分かり合えない。でもこれまでで培った色々な経験・知識から「母とは分かり合えないこと」を分かっている。

 

 

 

私の母は自分の考えたことは正しいと信じて疑わないタイプで、どちらかと言うと毒親に近い。

多分まだ私に人格がある事を気付いてない。

それでも彼女なりに、彼女の人生のほぼ全てを投げ出して私を愛してくれていることを知っているから、母のことは好きだ。

 

 

 

母は田舎の農家に生まれ、歳の離れた妹がいる。農業の忙しい両親の代わりに妹の世話をし、母(私の祖母)を早くに亡くしてからは家庭の母が担う役割もこなしていたのだと思う。

 

 

 

田舎の高校を出て、家の近くの会社に就職し、父と結婚して家を出た。

 

 

 

家を出てからは父の両親と同居し、休日も関係なく朝早くから起きて朝食の準備をし、自分は8時に出勤してフルタイムで働き、帰ってからは夕食の準備をしていた。

 

 

今思うと母が朝寝坊していた姿も、お昼寝してた姿も見たことがない。

 

 

 

祖父(母から見れば義父)は昔の人で、男尊女卑の気持ちがあり、よく母や祖母をけなし、父はそれを特に庇わず鈍感で、女性が家事はするものと思っているので何も家事は手伝わない。

 

 

 

今思うと母は家族のために生きていて、母自身のための時間は青春時代からずっと存在していなかったのだと思う。

母に外を見る時間も、好きなことをする時間も、休みに勝手に遊びに行く時間も、なかったのだと思う。

 

 

それでも田舎で育ち、一度も外を見ていない母はそれが嫁としての当たり前だと思っていたし、その価値観は今も変わってないのだろう。

 

 

 

長女として妹の世話をし、両親は農業で忙しかった母は彼女自身を褒められたり、認められたりしたことがないから、私のことも褒めたことがない。

褒めるとすれば優秀な高校・大学に入学して人に自慢できるポイントを私が獲得した時くらいだったと思う。

 

 

 

私自身の人格などはたくさん否定され、貶されていた。でも母にとっては思ったことを言っただけでそれによって私の自尊心が欠けているとは知らないのだ。自分がそうされてこなかったから。

 

 

母は今でも女は勉強ができなくて良いと思ってるし、子供を育てることが幸せだと思っている。

仕事なんてバリバリキャリアを積むものではなく、ある程度で家庭を守り、夫を立てながら生きることが当然だと思っている。

 

 

 

私は幸いにも、良い高校に行き、都内のある程度大学に進学することができたので、自分のやりたいことに貪欲に取り組む友人を持てたことで、広い視野を得て就職し、スキルを積みながらキャリアを重ねていくことが性別に関係なくできると知っている。

結婚しても家事だって得意な方がやればいいし、私が働いて夫が専業でも良い。個人に合った生き方をすれば良いと思っている。

結婚も別にしたくないならしなくても良いものだし、子育ても子供を育てるよりもやりたいことが有れば別に子供がいなくても良いと思っている。

 

 

 

 

でも母は女にそんな人生があることがなんとなく聞いたことがあっても、それは遠い世界のことで少なくとも自分の娘には当てはまらないと思ってる。

 

 

 

 

 

自分の娘はいつまでも思慮が浅く、深く考えない世間知らずの子供だと思っていて、娘が決めた道より自分が考えた道の方が正しいからそっちに行かせようとして私の意見なんて聞かない。

 

 

 

キャリアも、ライフプランも、恋愛も、ファッションも、全て意見が合わない。母は私自身の好きや、やりたいよりも、女として母が思う正しいに私を矯正しようとする。

そんなにガツガツ働いたら婚期がおくれ、個性的な髪型や学校ではモテないと言って聞かない。

彼女自身の指針が男を基準とした視点になっていて、私の好みややりたい事はもうこの際どうでも良いのだ。

でも母自身がここまで生きてくる間に、それ以外の生き方を知る術はなかったし、正しいと思うのは仕方ないのだと思う。

 

 

 

 

母自身の問題ではなく、母を取り巻く環境に原因があったから。

母はいつも明るく元気でよく働き、とっても世話焼きで料理がすごく美味い。

 

 

 

できる限り健康で長生きしてほしいし、母が持てなかった自分自身の自由な時間をこれから先たくさん持って欲しいと思っている。

 

 

 

私は東京で暮らし母と距離を取れたので、母に何を言われても見えないところでやりたいことをやれるし、生きたいように生きれる。

良い高校・大学を選択出来たことが本当に私の人生に大きく作用した。地元の高校・大学を進んでいたらきっと私も地元で働いて生きることを当然と思っていただろう。

 

 

今は性別関係なく努力と比例して高収入を得ることができるし、女性だって1人でも楽しくのびのびと生きることができる。母のように女であることという概念に縛られずに自分の人生を謳歌する女性で日本中溢れて欲しい。

 

 

 

 

ただ、多感な時期に褒められなかったことはとっても人格に作用していて、特に恋愛では「私なんか付き合ってもらえるわけがない」と自分を卑下する感情が強く、数年片想いの人のセフレに堕ちたり、貞操観念が低くなる時期もあった。

今は自分で成功体験を積み、自尊心の向上に努めたのでかなり良くなったけど。

 

そして悩んだときも意見を聞いてもらえたことがないから相談できなかった。行きたい学校も、好きな人も、将来も全て自分で決めてきた。

 

 

 

子供の頃の親の言葉はある種呪いに近く、例えば人見知りじゃない子でも親に「あなたは人見知り」と言われたら自分は人見知りと思い込んでしまう。

 

 

 

自分が1番信じてる人に言われる言葉は強く作用するから決めつける言葉は絶対に言わないで欲しい。

 

 

 

私も母に伝えるけれど、母はあなたのために良かれと思って言っているのだと信じて疑わず辞めないので諦めている。

もし、私が子供を育てるようなことがあれば、子供にはたくさん褒めてあげたい。

たくさん自身の存在を認めてあげたい。

 

 

 

 

私はただ母に縛り付けられる操り人形の人生ではなく、自分の人生を生きられていることを褒めたいし、これからも私を大切にしたい。私は私だけのもの。誰にも傷つけられない。

この呪いに気付けてよかった。

 

 

 

そんな思いを綴りました。